コンサルティングとは、第三者の立場から相手に付加価値を提供するサービスです。ビジネスとして成立させるには、付加価値を継続的に生み出す仕組みと、相応の対価を支払うクライアントの両者が存在することが条件です。現在の経営コンサルティングの原型は19世紀後半の米国で生まれ、幾度かの再編を経て、成り立ちの異なるファームが同じ市場で競い合う現在の姿になりました。
本記事では、コンサルティングビジネスの構造、業界の起源、経営コンサルティングの誕生と外資系戦略ファームの系譜、IT化による業界の拡大、エンロン事件による再編など、コンサルティング業界の構造と歴史について解説します。

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コンサルティングビジネスとは?成立する2つの要件
世の中には、いろんな「コンサルタント」がいます。
経営コンサルタントをはじめ、ITコンサルタントやキャリアコンサルタント、話し方コンサルタントから片づけコンサルタントまで、試しにウィキペディアで調べてみると、実に92種類もの「コンサルタント」が紹介されていました(2025年1月時点)。
そもそも「コンサルティング」とは、どのような仕事なのでしょうか。
職業の数だけ様々な定義があると思いますが、少なくとも共通するのは、「第三者的な立場」から、相手に「付加価値」を提供しているという、2点を押さえていることです。
まず、「第三者的な立場」というのがポイントで、当事者ではないからこそ、客観的な見地から「相手ファースト」のアドバイスや解決策を提示することができます。
似て非なるものに、「コンサルティング営業」があります。こちらは主語が自分にあり、「自分ファースト」で既存の商品やサービスを売り込むこと(営業)が目的で、そのための手段として「コンサルティング」を利用しているものなので、混同しないように見極めが必要です。
次に「付加価値」、すなわち「価値を付け加える」というのも重要なポイントです。
「価値を付け加える」ためには、当然ですが何かしらかの観点で相手を上回っている必要があります。それは、専門的な知識やノウハウ、積み上げた実績や経験、練り上げた理論や解決法などケースバイケースですが、相手と同じレベルにあるものには「付加価値」はありません。
では、そのコンサルティングを「ビジネス」にするとは、どういうことでしょうか。「コンサルティングビジネス」が成立する要件として、次の2つが挙げられます。
①付加価値を継続的に提供できる仕組みがあること
②その価値に対して、相応の対価を支払ってくれるクライアント(顧客)がいること
①について、かつて付加価値があったものも、何度も繰り返し提供していると、相手も同じレベルにまで引き上がっていき、いずれ存在価値がなくなってしまいます。そのため、蓄積した知見やノウハウが枯渇するよりも早く、新たな付加価値を生み出していく仕組みがなければ、「ビジネス」としては続けることができなくなります。
また、新たな価値を生み出す活動にはコストがかかるので、②の要件である「相応の対価を支払ってくれるクライアント」が必要になります。コンサルタントのクライアントになるのは、個人の場合もあれば法人の場合もありますが、一般的には法人を相手にした方が「ビジネス」のスケールとしては大きくなります。
コンサルティングビジネスは中国戦国時代から存在した?
先ほどの成立要件②に照らすと、対価を支払ってくれるクライアントが出現した時点、すなわち富と権力が集中し始めた時代から、コンサルティングビジネスは存在していたと推察されます。
例えば、中国の戦国時代(漫画『キングダム』のモデルとなっている時代)には、「墨家」という思想集団が存在したと伝えられています。各国が覇を競って戦いを繰り広げる中、墨家は平和主義を唱えて「非攻の論」を説き、その理想を実現するべく、はた目には矛盾するような屈強な傭兵集団を携えていたとされます。
そして、自ら侵略することは絶対にせず、各国から要請があった時にのみ出動し、ただただ守りに特化した支援を行っていたといいます。そのあり様からは、「墨守(かたくなに守り通すこと)」という言葉も生まれています。
もしかしたら、歴史上で最初の「戦略」コンサルティングファームは、中国の戦国時代に存在していたのかもしれません。
あるいは、日本にはかつて「陰陽師」と呼ばれる職業が存在しました。占いやまじないを生業とする人たちで、平安時代に活躍した安倍晴明がその代表格です。その頃は、天皇に富と権力が集中していた時代で、陰陽師は宮廷で貴族を相手に「ビジネス」を行っていました。
時は流れ、武家社会に移行すると、天皇への一極集中から、地方の大名へと富と権力が分散していきます。すると陰陽師も、それに合わせて地方に散っていき、大名に仕える「軍師」として活躍したものもいたとされます。
さらに時は流れて、明治時代になると、新政府が西洋文明を積極的に取り入れたため、陰陽師は歴史の表舞台から姿を消すことになります。ただ、その活動は、時々の権力者をクライアントに、姿や形を変えながら、千年以上も続いていたことになります。
もしかしたら、歴史上で最長のコンサルティング部隊は、かつての日本に存在していたのかもしれません。
このように、誰をクライアントにして、どのような価値を提供するかは、時代とともに移り変わっていることがわかります。
そして、産業革命を契機に、経済の中心が「工業」や、それを営む「企業」へと移行し、新たなクライアントとして台頭してきます。また、提供する付加価値も、「戦争の仕方」や「不可思議なものに対処する術」などから、「儲けにつながること(経営の仕方)」に変化し、その提供方法も、より科学的なものへと進化していきます。
こうして、現在の「経営コンサルティング」の原型が誕生するのです。

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経営コンサルティングはいつ誕生したのか
現在の経営コンサルティングの萌芽は、19世紀後半の米国に見出すことができます。
まず、「世界で最初の経営コンサルタント」として名前が挙がるのは、米国人の技術者、フレデリック・テイラーです。テイラーは、数多くの特許を取得し、それらを基礎にした「科学的管理法」を考案して、工場の生産性を改善するとともに、「マネジメント」の概念を確立したと言われています。
また、現存する「世界で最初の経営コンサルティングファーム」として、1886年に誕生したアーサー・D・リトル(ADL)の名前が挙がります。社名になっているリトル博士は化学の研究者で、創業当初はマサチューセッツ工科大学のキャンパス内にオフィスを構え、技術開発の委託研究を行っていたとされます。
時を同じくして、1881年にペンシルバニア大学ウォートン校に、米国で最初の経営学部(ビジネススクール)が設立され、「経営学」という学問領域が誕生します。これに伴い、経営に関する研究が進むとともに、経営学を学んだ人材(MBAホルダー)が、次々と社会に輩出されるようになります。
20世紀に入ると、経営コンサルティング業界は環境変化の波にも乗って、さらに勢力を拡げていきます。
1914年には、ブーズ&カンパニー(現在はPwC傘下のストラテジー&)が設立されます。このファームは政府機関や軍需産業への支援を行うことが特徴的でしたが、当時は世界大戦の最中で、戦争特需の追い風も受けて成長を遂げます。
1926年には、おそらく世界で最も有名な経営コンサルティングファームである、マッキンゼー&カンパニーが設立されます。その直後の1929年から世界恐慌が始まり、市場環境的には厳しい門出となりますが、実はこれが後にマッキンゼーにとっての追い風に変わります。
世界恐慌で痛手を負った米国政府は、その教訓を踏まえ、市場の健全性を担保するための様々な法律や規制を定めます。当時、企業への経営アドバイスは、コンサルティングファームだけではなく、銀行や会計事務所なども行っていました。
しかし、銀行が融資先に、会計事務所が監査先に行う経営アドバイスは、本業のビジネスと完全に切り離すことができず、利益相反を起こして市場をゆがめる可能性があるので、世界恐慌を機に規制の対象となりました。
その結果、企業に経営アドバイスを行えるのは、完全に中立的な立場にある独立系のファームに限られ、コンサルティング業界は〝漁夫の利〟を得て成長を加速させます。
その後、経営コンサルティングファームはさらなる拡大を続けるとともに、分離独立によって枝分かれしていきます。
まず、1939年にマッキンゼーと袂を分かつ形でA・T・カーニーが設立されます。
1963年には、ADLでキャリアを積んだブルース・ヘンダーソンが、ボストン コンサルティング グループ(BCG)を設立します。
さらに、そのBCGからスピンアウトする形で、1967年にローランド・ベルガー、1973年にベイン&カンパニーが誕生します。これらのファームは、日本でも「外資系」コンサルティングファームとして活動しています。
なかでもBCGは、いち早く日本に進出したファームで、1966年(設立から3年後)には、東京オフィスを開設しています。その後、日本でも順調に拡大を続けたBCGジャパンからは、さらにスピンアウトする形で、コーポレイト ディレクション(CDI)やドリームインキュベータ(DI)といった、日本発の経営コンサルティングファームも誕生しています。
ここで紹介したファームは、経営の中でも根幹を担う「戦略」を主に支援することから、「戦略コンサルティングファーム」と呼ばれたりもします。
図 外資系戦略ファームの系譜

IT化で急成長したコンサルティング業界
先ほど産業革命が経営コンサルティング誕生の契機となったという話をしましたが、20世紀後半から始まった情報革命(IT化の進展)は、コンサルティングの支援領域を「経営」以外にも広げ、巨大ビジネスへと引き上げることになります。
まず登場するのは、企業にコンピュータなどの情報機器(ハードウェア)を提供していたIBMです。IBMは、最初は「メーカー」として成長を遂げますが、徐々に事業領域を「サービス(情報機器の活用支援)」や「ソリューション(情報機器活用による企業課題の解決)」へと拡げていき、いわゆる「ITコンサルティング」業務も手がけるようになります。
しかし、この事業展開が、ハードウェア市場における優越的地位を利用してサービス・ソリューション市場を独占しているとして、独占禁止法の適用を受けることになります。そして1956年、IBMに対して「35年間にわたるコンサルティング業務の禁止」という判決が言い渡されます。
IBMがITコンサルティング市場から退場し、まず恩恵を受けたのは、ハードウェアを取り扱わないITソリューション事業者(システムインテグレーター)でした。
一番の成長株は、エレクトロニック・データ・システムズ(EDS)で、戦略ファーム(A・T・カーニー)を傘下に収めていた時期もあります。ちなみに、A・T・カーニーはその後MBOにより独立し、EDS本体はヒューレット・パッカードに買収されて現在は消滅しています。
次に恩恵を受けたのは、大手会計事務所でした。コンピュータの登場により、最初にシステム化が進んだのが企業会計の領域でしたが、そこでいち早くノウハウを蓄積していた会計事務所は、ITコンサルティング需要の受け皿となり、事業領域を拡げていきます。
会計事務所といえば、先ほど紹介した世界恐慌を機に、中立性の観点から監査対象企業への「経営」コンサルティングを禁止されていました。しかし、その後に派生した「IT」コンサルティングは、その規制の枠外という解釈のもと、再び事業化に成功します。
20世紀の後半は、IT化の進展により、企業の規模拡大やグローバル化が一気に進んだ時代でもあります。それに伴い、経営の複雑性や業務の専門性が増していき、各会計事務所もそれに呼応する形で、会計やシステム以外の業務(税務・法務・労務・人事など)にも支援範囲を拡げていきます。
そして、会社に必要な機能を丸ごと全部請け負う「総合コンサルティングファーム」の原型が作られていきます。
このように、支援業務の範囲を拡大していった会計事務所の中には、コンサルティング部門の売上が、本業の会計監査部門の売上を上回るケースも出てきます。そして、ここに来て再び、会社を外側から監視する監査部門と、内側から改善するコンサルティング部門の利益相反に直面することになります。
当時は「BIG5」と呼ばれる5大会計事務所が存在していましたが、その中の1つ、アーサー・アンダーセンは、コンサルティング部門を本体から分離独立させる道を選び、それが現在、世界最大のコンサルティングファームであるアクセンチュアとなります。そして、残されたアーサー・アンダーセンの本体が、「エンロン事件」を引き起こし、コンサル業界再編の引き金を引くこととなります。
コンサル業界を再編した「エンロン事件」
21世紀の幕が開けた2001年、米国の巨大エネルギー会社「エンロン」が度重なる不正会計を行っていたことが発覚し、倒産に追い込まれることになります。翌2002年には、今度は米国の大手電気通信事業者のワールドコム社が、同じく不正会計の発覚により倒産に追い込まれます。
そして、この両社の会計監査を行っていたのが、先ほど挙げたアーサー・アンダーセンでした。同社は、会社を外部から監査する立場にありながら、不正に加担していたことが調査で明らかになり、これらの事件を受けて、ほどなく廃業することになります。
しかし、話はここでは終わりません。事件の調査の過程で、同社が監査報酬とは別に、多額のコンサルティング報酬も得ていたことが明らかになります。そして、世界恐慌の時と同じ利益相反の議論(コンサルをしている会社の監査を中立的に行えるはずがない)が再び巻き起こり、それを明確に禁止する「サーベンス・オクスリー法(通称SOX法)」が制定されます。
SOX法の成立によって、大手会計事務所は再び、監査部門とコンサルティング部門の切り離しを求められます。そして、アーサー・アンダーセンの消滅により「BIG4」となった大手会計事務所は、コンサルティング市場から二度目の退場を余儀なくされます。
21世紀の最初の10年は、コンサルティング業界にとって冬の時代でもありました。
2000年のドットコムバブルの崩壊、2008年のリーマン・ショックに端を発した世界的な金融危機によって、右肩上がりの成長にブレーキがかかり、人員の整理も行われました。
二度にわたる不況を耐え忍んだコンサルティング業界は、2010年代に入ると一転、成長軌道に乗り始めます。その流れの中で、二度も市場から退出させられた大手会計事務所は、三度目の正直とばかりに再々参入に動きます。
ただし、今度は慎重を期して、監査対象企業との間に厳格なファイアーウォール(機密情報の遮断壁)を設置し、「コンサルティング」ではなく「アドバイザリー」という名目で、かつての支援業務を再開します。
二度の退場によって遅れをとったBIG4は、豊富な資金力を背景に買収合戦を繰り広げ、一気に遅れを取り戻していきます。そして、その勢いは、戦略コンサルティングファームをも飲み込んでいきます。
2013年、デロイトがモニター・グループ(1983年にハーバード・ビジネス・スクールの教授陣が設立した戦略ファーム)を買収します。翌2014年には、PwCがブーズ&カンパニーを、EYがパルテノン・グループ(1991年にボストンで創業した戦略ファーム)を買収します。現在はそれぞれ、モニター デロイト、ストラテジー&、EYパルテノンとして、BIG4の「戦略部隊」として存続しています。
こうした流れを経て、現在のコンサルティング業界は、異なる出自のファームが同じ土俵で競い合う、「異業種格闘戦」の様相を呈すようになっています。
コンサルティングは「第三者の立場から相手に付加価値を提供する」仕事として生まれ、対象となるクライアントも提供価値も時代とともに変わってきました。現在のコンサルティング業界は、戦略ファーム、総合ファーム、会計事務所、SIerなど、成り立ちの異なるプレイヤーが同じ市場で競い合う状況にあります。

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